コニーは生まれて2ヶ月半で友人の所にお嫁にいきましたが、1997年5月、13歳の時に家庭の事情で舞い戻ってきました。

 来た当初はアディや菜々子達に挟まれて環境の変化にもなかなか対応できないようなところもありましたが、私の元に戻ってきて1年ほどもした頃にはすっかり慣れて自分のペースで毎日を過ごしていました。歳とともに不安症の強くなったアディのいい「留守番の友」でした。


 コニーが私の所に戻ってきた時の状態は最悪でした。かなりひどい子宮蓄膿症でしたが、心臓が悪いためにそれまでかかっていた獣医師からは手術は無理という宣告を受けていました。

 引き取った2日後、知人の獣医師に頼んで子宮蓄膿症の手術を受け1週間の入院の末に助かりました。心臓がとにかく悪いので健康状態には目が離せず、手術をしてくれた獣医師にも後2年くらいしかもたないのではないかと言われていました。

 新しい人生(犬生)を出発させる意味もあって、昔の名前「リリィ」を「コニー」と変えてしまいました。


 父犬の気質を受け継いだのか、気が小さいところがあるくせに態度だけは大きく、毎度隣の家の犬に吠えつかれる度にやり返しに行くほどで、本当に心臓が悪いことを本人(犬)が自覚しているのかと毎度思わされたものです。とにかく向こうっ気だけは強くて侵入者には率先して向かっていくタイプ。ちなみにこの子の父犬は柴犬と喧嘩して勝って帰ってくるような強いオスでした。

ぼーっとしているようで意外に物事に対する立ち回り方が賢い子でした。年老いてからでもプードルは環境の変化にも上手に対応するし、家族にもよく馴染む犬なのだな、と関心させられたものです。表面はあっさりしているようでしたが、結構甘えん坊で、私の姿を追ってくっついて歩いていたものです。

寒がりで、冬になるとストーブの前から絶対に離れませんでした。熱風で焦げるのではないかと本気で心配したものです。冬の寒い朝などはコニーとストーブの取りあいでした。
事務所での一コマ。左がアディ、右がコニー。とりたてて仲がいいというわけではなかったけれど、親子が13年ぶりに再会して(ただし、本人達にはその自覚なし)いいコンビでし

 1999年のクリスマス前後から体調が悪くなり、正月は無事に迎えたものの、その後持病の心臓病の悪化から腎不全を起してしまいます。病院に入れたまま、点滴につながれた状態で死なせたくなかったので具合が思わしくないのを承知で1月の半ばに自宅に戻しました。亡くなる数日前に、以前の飼い主家族に会わせてやることができて良かったと思っています。まるであつらえたようにぴったりだったセーターが最後にはブカブカになるほど痩せてしまいましたが、状態が悪かった割には必要以上に苦しまずに比較的楽にすっと虹の橋を渡って行かれたのがせめてもの救いです。

 普段はいるのかいないのかわからないほど物静かな子でしたが(人に向かって吠えついて行く時は別の話)15年10ヶ月という犬生の最後の約2年半はいろいろな体験をした濃厚な日々だったと思います。来た年の夏に菜々子と一緒に神戸に連れて行ってやったのがいい思い出です。

コニー最後の写真。

 左の青いセーターを着ているのがコニー。
 アディが寝ていたこのカドラーの方が暖かかったのか、時々アディがいない時にアディの場所で丸く なっていることがありました。
 この時は、亡くなる前日で、アディがすでにそこで丸くなっていたところを無理に割り込んできていました。

 具合が悪くなった2週間ほどの間にすっかり痩せて、ちょうど良かったセーターがダボダボになってしまいました。

次へ indexintroduction