アディの子で、一番のお気に入りだったティティ。甘ったれでやきもち焼きで、典型的な「家付き娘」でした。性格はとてもお茶目でいつでも我が家の末っ子。そんなティティのことを私は「She's my 10-year-old puppy」(10歳の仔犬)と表現していたものです。いつまでも子供のような本当にかわいい子でした。

 この子も2年ほど展覧会に出しました。毛量もあり、色素のきれいな子で、パピーの頃から連れて歩くと展覧会会場でも目立つ犬でした。そこそこの成績も取れたのでこの子を引いている時は楽しかったものです。


 右の2枚は展覧会に出ていた頃のティティ。

 パピースタイルは、5か月の頃のもの。その右側は1歳少し過ぎの頃のものです。私のトリミングやグルーミングが当時もっとうまければ良かったのですが。。。

 体高9インチ半ちょっとと比較的小振りでしたが毛量があったので、これでもドライヤーに1時間半ちかくかかったものです。

 菜々子が我が家に来た当初、ティティはそのあまりに大きな同類に驚いたのか、ほとんど関わろうとしませんでした。逆に菜々子にはいつまでも母犬に頭の上がらない腰巾着と見抜かれてしまいます。

 この子達の間に私は随分入って小さなティティが大きな菜々子にやられないように気を使ったものです。けれどそんな心配はどこへやら。いつの間にか大・小のいいコンビになっていました。

 上の写真、ボールを取られた菜々子の表情と動きもおもしろいけれど、この2頭で漫才ができたらきっとおもしろかったに違いない、とよく思います。小さな布団に二人が仲良く並んで寝ていたりもしたものです。菜々子は内心ではティティのことを小バカにしていた様子でしたが、私に言わせれば、甘えん坊の度合い、やる事のドジな点などなど「ガキ加減の程度」ではどっちもどっちでした。

 右の写真は左から菜々子、ティティ、アディ。それぞれの個性がおもしろく、どこに行くにも3頭で一緒に出かけていた幸せな頃。

 ちなみに上の写真、菜々子が我が家に来て3か月ちょっとの頃。丸坊主だった毛が生えてきて、ようやくプードルらしくなってきた時期でした。

 その名前のように、まさに「Angel in my arms」だったティティは1994年、内分泌系疾患を長く患った後、肺水腫を併発してまだ残暑の残る9月に亡くなりました。ティティのような子はもう二度と持てないだろうと思います。生まれたその瞬間から死ぬその時まで、ずっと一緒にいられたこと、James Herriot のように「Her life was mine.」と言えるほどたくさんの時間を一緒に過ごせたことが一番の慰めです。
 左はモニカです。ティティとは同腹の姉妹で、両親と一緒に過ごしていましたが1999年3月、ガンのために亡くなりました。亡くなる前日に会いに行った時に15歳だというのに、その美しさに驚きました。この子もティティと同じで色素の濃いきれいな犬でした。死ぬその日まで漆黒のような鼻をして、全ての爪が黒く、どこの色素も抜けていなかったのです。

 今ごろはティティと一緒に虹の向こうで遊んでいるでしょうか。

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